ミュンヘンの2日目は、電車とバスにのって40分くらいのところにある、ダッハウ強制収容所という、旧ナチスの強制収容所跡を見に行きました。
旧市街の入口、カールスプラッツ広場にあるKarlsplatz(カールスプラッツ)駅から電車に乗ったんですけれど、ミュンヘンには、市内を走る「Uバーン」という地下鉄と、「Sバーン」という近郊の都市にいく鉄道が走ってて(あと、ミュンヘンにはトラムも走ってますね)、今回はSバーンに乗るのに、駅でなんとなくで適当にチケットを買ったら、息子の分のチケットを間違ってUバーンのを買ってしまっていたらしく…。
当然改札を通れると思っていたので、二人して同時に改札を通ってしまったのだけれど、息子が入れず、ゲートのあちらとこちらで離れ離れになってしまいました…。
おかしいね、と思って困っていたら、駅の職員みたいな人が、わざわざ助けに来てくれて、息子を券売機まで連れて行って、チケット一緒に買ってくれました。
ありがとうございましたm(_ _)m
ダッハウ強制収容所跡に行くには、まずSバーン2番の電車でDachau(ダッハウ)駅まで行って、そこから726番バスにのって10分くらいのKZ-Gedenkstätte(強制収容所記念碑)駅で降りると、もう施設の入口が目の前です。
電車が25分とかで、バスが10分くらいで、乗り換え含めて合計40分くらい。
KZ-Gedenkstätte駅で降りる人は、ほぼ皆がこの施設を見に来た人たちなので、バスを降りたら、みんなと一緒の方向に歩いていけばOK。
バスからみた郊外のエリアも、とても緑豊かで、ミュンヘンは本当に美しい街だなと思いました。
施設の敷地に入ると、すぐ左手に受付の建物があります。単に中を見たいだけなら、何の手続きもしないてそのまま無料で入れるのだけれど、オーディオガイドとかが借りたいならば、ここで手続きをする必要があります。
オーディオガイドには日本語もあるので、借りたほうがいろいろ詳細の説明が聞けていいと思います。学生は学割が効いて、学生証を預けると学生料金で借りれます。金額がいくらだったかは忘れました。15ユーロくらいだったかな。そんなに高くなかったと思います。
そういえば、電車のダッハウの駅を降りたら、急に土砂降りの雨が降ってきました。
日本からレインコート持っていったんですけど、なぜかたまたまこの日は持って出てなくて途方にくれそうになりました。でも、とりあえず行くしかないか、ということで、強制収容所跡まで行ったら雨がやんで、結果オーライでしたけどね。雨具は持参をおすすめします。
夏のヨーロッパ、地域によってもいろいろでしょうが、結構、降る日は降るみたいですよ。
モンベルのバーサライト ジャケットという薄手の防水シェル、丸めると小さくなって、旅行におすすめです。
畳むと、このくらいコンパクトになるので、普段はランニング用のバッグに入れて、犬の散歩のときの「もしもの備え」で持ち歩いてます。
ホテルを朝8時半位に出たので、強制収容所跡には9時過ぎくらいには到着できてました。
これはかなり正解だったみたいで、僕らがついた頃は、まだ人もまばらで、施設内を落ち着いてじっくりと見て周ることができたのですが、色々と見て、11時過ぎに施設を出る頃にはかなり人が多くなってて、どこも落ち着いて見られない感じになってきてたし、オーディオガイドの受付も、めちゃめちゃ長蛇の列になってました。
行く方は、早め早めがおすすめです。
強制収容所の施設跡地は本当に広くて、中には、実際に労働作業をさせられていた建物そのものも残ってます(今は、内部は資料館みたいになっているんですけど、実際に中に入って見ることができます)。
収容された方たちが寝泊まりをしていた棟は、当時の建物を再現して建てられたもので、当時は全部で34棟あったのだけれど、その中の2棟のみが再現されています。
内部に入ると、10畳くらいのスペースに、びっしりと三段ベッドが造作されていて、一人分のベッドは、奥行き2m、幅50cm、高さも50cm位しかない、ものすごく狭い、「人一人が寝るのが限界」のスペース。
この1区画が1人分のスペースです。
トイレは、仕切りもなにもない4〜5畳くらいのスペースに、便器が10個くらい置かれているだけの場所で、そこで集団で用を足すようになっています。
お風呂は、公園の噴水みたいな直径1.5mくらいの丸いお皿みたいな形で、その中央から水が出るようになっていて、そこで5人位でまとめてシャワーを浴びるようになっています。
施設跡地の土地の中に、ローマ・カトリックとか、ロシア正教とかの教会や聖堂、追悼のモニュメントのようなものがそれぞれ作られていました。
基本的には、ユダヤ人=ユダヤ教徒ということだと思いますが、では、なぜここにキリスト教の施設やモニュメントがあるのか?という点が、こういった施設を見たときに感じた疑問でした。
後で調べてみたところ、ダッハウ強制収容所には、キリスト教聖職者も収容されていたのだそうです。加えていうならば、ナチスの強制収容所というと、まずはユダヤ人の方々が収容されていた、ということが頭に浮かびますが、実際には、ユダヤ人だけでなく、社会的に影響力があり、ナチスに対して抵抗していた人たち、キリスト教聖職者や政治家、教師、芸術家なども収容されていたのだそうです。
また、「当時のローマ教皇ピウス12世(在位 1939年~1958年)が、ナチス・ドイツのユダヤ人迫害に対して、積極的な反対行動や意見の提言を行わなかった」ことに対して、近年、ローマ教皇庁が、遺憾の意を表す文書を発表などしていることからも、「キリスト教徒でもあるナチス・ドイツの犯罪者たちが、ユダヤ教徒を迫害し虐殺した」「それを、キリスト教として止めることができなかった、何の有効なアクションも取ることができなかった(本来ならば、何かしらの歯止めにつながるようなアクションを取ることもできえた)」という側面からの捉え方もあるのかなと。
施設の左奥のエリアには、ガス室があります。
ここのガス室は実際には使われなかったらしいですけれど、どうやって大量虐殺をするつもりだったのか、みたいな説明とかもあって、本当に恐ろしい施設だなと。
こんな恐ろしいことを考えついて、それを実行に移すことができるとは、人間というのは恐ろしい生き物です。
殺害するユダヤ人たちに察せられないように、ガス室の入口には「シャワー室」(BRAUSEBAD)という偽物の表示が掲げられています。
実際に天井にはシャワー設備も取り付けられていて。
トイレとかも全部そうなのだけれど、すべての施設が、大人数を一度に入れられるようになっていて、このガス室には、150人くらいを一緒に入れられるような広さになっています。
表現が難しいのですが、こういった施設のつくりそのものに、人間を一人一人の意識をもった「人」として尊重せず、ある種の「かたまり」として扱って、人間の尊厳を踏みにじる、そういった意図が現れているように感じました。
その隣の部屋が、何もない部屋なのですが、そこが「死体置き場」です。
ガス室で殺された人々は、そのまま隣の部屋に運び出されます。
その更に隣の部屋が「焼却施設」。
日本人は火葬文化だから、「遺体を燃やす」ということに対してはそこまで違和感を感じないかもしれないですけれど、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は「土葬」であり、こういった土葬文化の宗教では、火葬は基本的にタブーなのだそうです(近年では、火葬を受け入れる考え方もあるそうですが。魂の受け皿である肉体を燃やしてしまうと、復活して天国に行くことができない、という考え方が根底にあるのだとか)。
出典: https://www.shizensou.net/essay/ronkou/doso-to-kaso.html
『イスラエルで、2004年に火葬を主張した“進歩的”な葬儀社が火葬場を新築してみたが、ユダヤ教徒に放火されて焼け落ちた。その後に再開されたけれどもその正確な場所は伏せられたままという』(逆に、インドから発祥した仏教、ヒンズー教、ジャイナ教、シーク教などは、みな火葬ですね)。
そういった宗教/文化的背景まで知ったうえで、人を150人まとめて殺害して「焼却」してしまうという行為を考えると、それは、何重にもとんでもない罪深い行為を重ねているのだということがわかります。
ちなみにですが、「第2次世界大戦中のナチス・ドイツの重大な戦争犯罪を裁くため開かれたニュルンベルグ裁判は、平和と人道に対する罪で1946年10月1日に10人のナチス首脳や軍人に死刑を宣告した。同月16日に絞首刑を執行された10人は火葬され、処刑前に服毒自殺したゲーリングの遺灰とともにミュンヘン市内の川にまかれた」ということです。
(こちらは、施設の奥にある像です。申し訳ないのですが、像の名前は失念してしまいました。「名もなきユダヤ人の像」のような名前だったかと思います)
すごく恐ろしい歴史に思いを馳せ、様々なことを考えさせられる訪問でしたが、行って良かったと思います。
(帰りの電車のダッハウ駅のホームにて。ヨーロッパの電車は、自転車OKです。もっというと、犬も猫もOKだし、何でもOKです。みなさん、電車降りると、ホームをそのまま自転車で走っていきます☮)
続きます。